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(11)姉妹都市
皆様ご存知の通りブルーミントン・ノーマル両市と旭川市は姉妹都市です。

旭川市は、1962年(昭和37年)にアメリカ、イリノイ州ブルーミントン・ノーマル両市と姉妹都市提携しました。2012年には提携50周年記念の年となり、もうかれこれ半世紀以上友好関係が続いています。
今では大韓民国の水原市とも姉妹都市関係にあり、ユジノ・サハリンスク市、ハルピン市とは友好都市関係にあります。現在4都市と姉妹・友好都市関係にあり親交を深めていますが何といってもブルーミントン・ノーマル両市は、私にとって思い出深き場所です。

私がまだ大学3年の夏休み(1982年)帰郷の際、姉妹都市提携25周年にむけて両市に寄贈する日本庭園の叩き台の図面を書くこととなりました。
旭川で急きょ図面を書き上げ提出し、残りの夏を日光国立公園のサブレンジャーのアルバイトに燃え、4年生を休学し派米(1983〜84年)、帰国後復学し卒業、東京の造園会社で仕事(1985年)をしていましたが、姉妹都市提携25周年を迎える前年の1986年、なぜか82年に書いた図面が採用されたので今度は作りに行かなければならないので急きょ旭川に戻ってきてくれと父親が東京まで迎えに来ました。
(写真1)
原図を探したが見当たらず青焼しか残っていませんでした。今見たら寸法も入っていなくて本当に叩き台の図面としか言いようがない。
私は当時、日本でも有数な造園家、作庭家であり「雑木の庭」で有名である小形研三のもとで修行していました。小形研三氏は、樹木の事や庭を造るだけでなく、茶道や華道を習う事また、設計や図面の書き方についても勉強するようにとおっしゃっていました。仕事は厳しく大変であり、上下関係が厳しい世界ですが、仕事が終われば同世代の仲間は楽しく毎日のように飲んで夢を語っていた気がします。
小形研三氏の奥様も私たち職人見習いを何百人と見てきたためか仕事のことより、普段の食生活、健康管理の事をいつも心配されていましたし、若くても職人を目指していた者には寛大で給料の前借をしても笑って貸してくれました。この時期働いていた職人の大半が前借をしていたし、前借できる事で自分も一人前になれた気がしていた何ともなつかしく、お恥ずかしい時代です。
今なら即座に「だらしない、自己管理ができていない」と怒られるだけでしょう。
と、言う事で父親に前借分と数件の飲み屋のつけの代金を立て替えていただき旭川に帰ってまいりました。誠にお粗末で切ない出来事です。

旭川に帰りブルーミントンから戻ってきた図面は、Pond(池)の部分が Dry-Pond(枯池)に変更されていただけで大きな変更はありませんでした。ただ、至急施工を開始したいので技術指導のため現地に来てほしいと連絡がありました。
今回の日本庭園では石組がメインであるため石材を用意しなければなりませんでしたので現地の造園会社から何度か石の大きさや形について問い合わせがありましたが、日本にいる感覚で「近くの山で1t〜5t前後の石を集めておいて」と簡単に指示を出しましたが、後でイリノイ州自体が平坦な土地で山がほとんどないと言う事を知り驚きました。

施工は、私を含む日本からの3人と両市からのボランティアの人達で10日ぐらいかかり作り上げました。(延べ人数:300人ぐらい)
その時、アメリカ国民のボランティア精神に驚いたことを覚えています。ボランティアとは、ただ施工作業を手伝うだけがではないのです。作業をする人の送り迎えや、食事の世話、自分ができることを率先して誰に命令される事なく行う事と知りました。また、時間も1日が無理でも昼食の時間1時間だけでも手伝いたいと申し出る人もいました。
まさに、地域のためにボランティア活動を行うと言う事は、慈愛の心で奉仕する一言に尽きます。
(写真2)
庭園滝口部撮影
こんなに素晴らしいボランティア活動なのですが、その作業の進み方に調子を崩されたのが私の父親です。根っからのたたき上げの職人のため、一服と号令をかけたら皆が一斉に一休みし親方は、その間次の段取りを頭の中で組むのですが、向こうでは穴を掘り続ける者、飯を勝手に食べ始める者、休憩していたら作業時間が無くなると一服しない人もいて、彼の築き上げた何十年来の指揮形態、作業手順が崩壊し、誠にやりにくそうで見ていて笑えてしまいました。
(写真3)
アプローチから枯池
施工途中
また、彼はチーズ、バター等の乳製品、牛肉が大の苦手で絶対食べなかったのに、毎晩違うホストファミリーに招待されては、大量の乳製品、牛肉を御馳走され、食べ続ける彼を見て、「なんだ、本当は好物だったのだ」と勘違いするほどでした。
はっきり「嫌いです、食べられません。」と意思表示できない日本人らしさが、誠にチャーミングでした。
また、乳製品生活3日目をすぎると「シャワーを浴びる体の表面に水滴ができる」と、ワザワザ私に見せにきたくらいでした。乳製品は体に良いと証明されました瞬間です。

彼の食生活の話は次の機会としてなぜ今、ブルーミントンの庭なのか、それは提携50周年もさることながら庭園完成後27年経った今、ユーイングマナーはどうなったのだろうとGoogleマップで検索したらペグマンが近くまで案内してくれました。
27年もたち竹垣もだいぶ黒くなってきているが補修、維持管理はよく行われています。きっとボランティアの皆さんも参加して庭園を管理しているのでしょう。
死ぬまで庭作りに専念した父も美しく管理されているこの庭を見て喜んでいると思います。庭、公園、街路樹等、樹木や植物が人の手によって植栽されているすべての場所は、責任を持って人が世話をしなければよくならないと感じました。
植物にはバクスター効果というのがあるそうで、愛情をかけたらそれに反応し植物も答えてくれると言います。
皆様も自宅の庭木、植物に声をかけてみてください。
きっときれいな花を咲かしてくれると思います。